1966(昭和41)年、岡山県生まれ。日本体育大学卒業後、リクルート入社。女子マラソン選手として1992年バルセロナオリンピックで銀メダル、1996年アトランタオリンピックでは銅メダル獲得。1998年NPO法人ハート・オブ・ゴールド設立、代表理事就任。2007年にプロマラソンランナー引退。現在は、国際オリンピック委員会(IOC)Olympism365委員会委員、ワールドアスレティックス(世界陸連)理事、日本陸上競技連盟副会長、大学スポーツ協会 副会長など、幅広い分野でスポーツ振興に関わっている。2010年IOC女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞。2018年安曇野市スポーツ大使就任。
1990年 | 大阪国際女子マラソン | 6位 | 2時間32分51秒(初マラソン日本最高記録) |
1991年 | 大阪国際女子マラソン | 2位 | 2時間28分01秒(日本最高記録) |
世界陸上選手権女子マラソン | 4位 | 2時間31分08秒 | |
1992年 | バルセロナ五輪女子マラソン | 2位 | 2時間32分49秒 |
1995年 | 北海道マラソン 女子 | 優勝 | 2時間29分17秒(大会新記録) |
1996年 | アトランタ五輪女子マラソン | 3位 | 2時間28分39秒 |
1999年 | ボストンマラソン | 3位 | 2時間26分39秒(自己ベスト) |
2001年 | 東京国際女子マラソン | 10位 | 2時間31分00秒 |
2007年 | 東京マラソン 2007 | 5位 | 2時間52分45秒 |
1973(昭和48)年、兵庫県生まれ。柔道の名門 天理大学入学後、才能が開花し、多くの国内、国外の大会を制覇。2000年シドニー五輪 100kg 超級決勝では、のちに世紀の誤審と語り継がれるフランスのダビド・ドゥイエに破れ、銀メダルを獲得。2003年現役を引退。引退後は天理大学柔道部の監督に就任。監督業の他に柔道の国際大会のテレビ解説も務める。2008年に柔道男子日本代表監督に就任。2012年ロンドン五輪後に日本代表監督を退任。 その後は日本各地で講演活動や柔道の指導にも力を入れている。
信州の四季折々の自然豊かな姿に魅了され、2020年4月に奈良県天理市から安曇野市へ移住。
2021年10月安曇野市スポーツ大使就任。
1998年 | 全日本選抜体重別 | 優勝 |
1998年 | 全日本選手権 | 優勝 |
1999年 | 全日本選抜体重別 | 優勝 |
1999年 | 全日本選手権 | 優勝 |
1999年 | バーミンガム世界選手権(100kg超級・無差別) | 優勝 |
2000年 | 全日本選抜体重別 | 優勝 |
2000年 | 全日本選手権 | 優勝 |
2000年 | シドニーオリンピック(100kg超級) | 2位 |
2001年 | 全日本選抜体重別 | 優勝 |
2001年 | 全日本選手権 | 2位 |
2001年 | ミュンヘン世界選手権(100kg超級) | 3位 |
2002年 | 全日本選手権 | 3位 |
高校で陸上競技を始め筑波大学・筑波大学大学院でランニングを研究しながら、800mと1500m日本インカレに出場。卒業後も働きながら、日本選手権800m出場の実績をもつ。現在はランニングコーチ兼タレントとして、メディアやイベントを通したランニングの普及活動を行う。非常勤講師、モデル、インフルエンサーなど幅広く活動中。合言葉は「ん~、やってみよう!」。SNS総フォロワー90万人を超える。
1982年(昭和57年)生まれ
熊本県益城町出身。佐賀大学卒業後、佐賀県社会人リーグ1部の佐賀楠葉クラブに所属し、2007年にはサガン鳥栖とプロ契約。2009年には、当時北信越リーグ1部の松本山雅FC加入し、各カテゴリーへの昇格に大きく貢献。2016シーズン限りで現役を引退し、現在は松本山雅FCの育成部兼総務部の部長として後進の育成に取り組んでおります。